今回の愛知訪問は、春分の日に大阪場所に行く用事があったので通り道にある実家に顔を出すことにしたもの。
一人で行くつもりだったけど息子の予定が空いていたので、実家訪問部分だけ息子参戦。
ジジ孝行な息子です。
今日は一日あるので、大河先取りの旅を計画。
東名で一気に浜松へ(三方原PAのスマートICで降ります)。
文具店は気になりますが、反対車線だし混んでるのでスルー。
調べたら関東にもあったので今度行ってみよう。
出世神社と名高いと聞いて、転職がうまく行くようにお参りしたいなと思っていたのですが、今日の放送回の舞台となる引間城の跡地に建っています。
松潤もお参りしてました。
引間城は家康が手に入れた後に、引間は『馬を引く』負け戦に通じるということで浜松城に名を変えて新しいお城の一部に組み込まれたらしい。
三方ヶ原の戦い(みかたがはらのたたかい)は、元亀3年12月22日(1573年1月25日)に、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で起こった武田信玄と徳川家康・織田信長の間で行われた戦い。(wikipediaより引用)
三方原古戦場はサクッと終わってしまったので、浜松餃子ランチ。
餃子好きすぎる。
ここで浜松終了!
長篠を目指します。
長篠の戦いの史跡を巡ります。
長篠の戦い(ながしののたたかい、長篠の合戦・長篠合戦とも)は、戦国時代の天正3年5月21日(1575年6月29日)、三河国長篠城(現・愛知県新城市長篠)をめぐり、3万8千人の織田信長・徳川家康連合軍と、1万5千人の武田勝頼の軍勢が戦った合戦である。
決戦地が設楽原(設楽ヶ原、したらがはら)および有海原(あるみ原)(『藩翰譜』・『信長公記』)だったため、長篠・設楽ヶ原の戦い(ながしの・したらがはらのたたかい)と記す場合がある。(wikipediaより引用)
鳥居強右衛門磔死の碑は線路の脇の畦道の奥にあります。
大河ではどんな描かれ方をするのか楽しみです。
次は設楽原決戦場に再現された馬房柵を見に行きます。
ここで長篠エリア終了。
この後の計画もありましたが、せっかくなので湯谷温泉に入って行くことに。
大人は620円で露天風呂もあります。
駐車場が停めづらいけど…。
温泉を出て新城ICへ戻る途中、なんか階段がすごい神社に登ってみる。
この後、鵜殿長照が討死にした蒲郡の上ノ郷城に行くつもりだったので新東名に乗ります。
新城ICから乗るとすぐに長篠設楽原PAがあります。
知らなかったのですがここのPAからは長篠の戦いで織田信長が本陣を引いた茶臼山(愛知県最高峰とは同名ですが別物)に登れます。
私たちの長篠、まだ終わってませんでした。
全国的にも信長の歌碑は珍しいそうです。
PAで結構時間を取ったので上ノ郷城以降はカット。
西三河はいつでも行けるので、次回に回すことにします。
カーナビは豊田東IC(正確には新東名のICでなく伊勢湾岸道のICになるらしい)で降りることを勧めてきますが、通り過ぎるのは癪なので岡崎東ICで降りることにしました。
後で調べたら岡崎東ICは旧額田町地区にある模様。
国道1号線には本宿あたりで合流します。
本宿から市内中心へ向かう途中にあるケーキ屋でケーキを購入。
オカザえもんのホールケーキなども注文できるお店です。
オカザえもんクッキーはお土産にしたかったけど、この後まだ旅が続くので(絶対割れるので)断念…。
最後は自分の通った小学校区にある酒井忠次(どうする家康では大森南朋氏が演じてます)が生まれた『井田城址』へ。
隣にある井田公園は知っていましたが、その隣に城があったことも城山公園として整備されていることも今回大河が始まり何の気なしに酒井忠次を調べるまで知りませんでした。
岡崎の小学校、地元の英雄教育しないにも程があるよ…って思ってます。
路駐してる車が気になって石碑にたどり着けず。
自分の故郷にゆかりのある歴史が知れて、少し賢くなった(気がする)1日でした。
本日の走行距離
184km